「ソーズマン、今日は剣術の稽古はなしだ。町に行ってくる。もし体を動かしたいなら走り込みでもしてくれ。木刀は危ないからしまっとく。」
「うん。じゃあ走ってくる。」
 朝から出かける父はソーズマンに今日はなし、というと頭をなで町に行く他の人々に合流するために井戸のある広場へと向かった。
「あれ…ガディアさん…いない?」
 なんとなく見送っていたソーズマンは家に戻るなり、小さな声を聞き裏へと回る。
そこには不安げな面持ちのチューベローズがソーズマンとばったり鉢合い、怯えたように身を固くしていた。
 
「今日はいねぇよ。走り込みして来いって。ちょうどいいや。お前も一緒に来いよ。」
「う…うん。」
 おびえた様子でありながらソーズマンの眼を見つめるチューベローズの不思議な色合いの眼に、一歩下がるソーズマンだが悟られまいと胸を張り、わかったな、と言いつける。
か細い声で答えるチューベローズだが、ソーズマンとまともに会話したのは初めてだ。
 体を伸ばし、ほぐすとソーズマンは先に走りだす。
後ろからチューベローズが追いかけて走ってくるのを感じながら、毎朝走る山沿いのコースを進んだ。
 
 
 ふと、後ろを見ると随分と離れたところに銀色の髪が見える。
遅い、といらだつソーズマンは休憩しながら待つと、息を荒くしたチューベローズがやって来た。
 ぜぇぜぇと喘ぐチューベローズだが、ソーズマンはひ弱な奴、と心の中で言いほら行くぞ、と走っていく。
 ほどなくして、日が高くなってきたころに泉にたどりつくと体を伸ばし、顔を洗う。
さっぱりした、と少し上がっていた息を整えるソーズマンは後ろを振り向いた。
だが、いくら待ってもチューベローズは来ない。
 なんてとろい奴、と舌打ちをすると来た道を戻る。
まさか迷子になったんじゃ、と不安になるソーズマンだが、銀色の髪を見つけなんだ、と息を吐いたところで思わず息をとめた。
 ふらふらと歩くチューベローズは足が縺れ、前に転ぶと震える足を何とか立たせようとし、再び転倒する。
 よくよく見れば手足には擦り傷がたくさんある。
日差しが照りつけるなか、もう一度転ぶと地面をかくように手を動かしただけで起き上がれない。
 慌ててかけるソーズマンに気がついたのか、顔を上げると再び起き上がろうとしてその場に転がった。
「お前なんで…だっ大丈夫?」
 白い顔がさらに白く、まるで雪のようだ、と考えるソーズマンは何とかチューベローズを引っ張って日陰に行くと傷だらけの手に触れる。
何かに躓いたのか、両方の膝は泥に汚れ、ジワリと赤い滴が垂れていた。
ぜぇぜぇという声と、吸い込むときに交じるひゅうひゅうという声に、一度調子に乗って全力で走って走って、もう無理、となった時に自分の喉から聞こえていたものだ、とソーズマンは考え、目を閉じたチューベローズを覗き込んだ。
びっしょりと汗でぬれるチューベローズの手を握ると驚くほど冷たい。
 
どうしよう、と考えるソーズマンだがふいにあることを思いついた。
このままだと確実に父に怒られる。それはとても怖い。
 ひゅうひゅうと、自分が息苦しくて咳込んだ時の声を漏らし、冷たくなっているチューベローズも怖い。
 チューベローズは眠ったかのように全く動かず、激しくせき込んだ記憶がよみがえる声を…息を吐いている。
知らず、ソーズマンの足は一歩後ろに下がった。
だが、父に叱咤されるのも怖い。
どうしていいかわからず、パニックになるソーズマンはまた一歩下がるとぼんやりと目を開け、まっすぐに見つめてきたチューベローズと目が合い、びくりと体を震わせた。
「おっ…お前がとろいからいけないんだからな!!道ぐらい分かんだろ!先帰っちゃうからな!」
 大声で叫ぶように言うと、そのまま背を向けて走り出す。
追いかけてくる気配はなかった。
 
 
 家に帰らず、少し高い丘にやってきたソーズマンは震える足を抑えるように座り、顔を膝にうずめる。
思い出すのはあの白い顔と、黄色で縁取られたあの不思議な青い目。
まっすぐ見つめてくるあの目はソーズマンを責めているようで、とても怖かった。
つらいならつらいと言えばいいのに言わずに勝手に転んで、勝手に怪我して…あいつが悪いんだ、と膝をぬらす涙に言い訳をする。
 ひとしきり泣いて落ち着いたソーズマンが丘から下りるとそっと元おばけの家…チューベローズの家のほうを見る。
帰っていなかったらどうしよう、と考えるが怖くて近づけない。
ソーズマンがそっと見つめていると、家の戸が開きお医者さんであるヘアリンの家のおばさん…セングルーおばさんが出てきて、ホスターおじさんがお礼を言っている姿を見た。
 チューベローズを安静にしてて、というセングルーおばさんの言葉にちゃんと帰ったんだ、とほっとしたソーズマンはふいに顔を上げたセングルーおばさんと目が合う。
慌てて逃げるソーズマンにセングルーおばさんは眉を寄せた。