奥の部屋にいたのは緩やかな波のような淡い桃色の髪が特徴的な少女だった。
「姉ちゃん!ケイオスの魔王様が来てくれたんだ!姉ちゃんだけでも安全な所に行かなきゃ。」
 先ほどの蛇の少女は憂い顔の少女の手を取る。
冷えた水に足…いや鮮やかな桃色の鰭を入れた少女はアクアリウスを仰ぎみる。
瞬きをすると薄いピンク色の真珠が零れ落ちた。
「ディーネ、珍しいピンク色の真珠を出す人魚だからって下の人間達に捕まっていて…。オックスがその話を聞いて助けてくれたの。でも酷いことされたみたいでしゃべれなくて…。」
 リリナの言葉にピスケスは口を引き結んだ。
小さな桶に鰭を入れているだけで、魚である部分のほとんどが外に出てしまっているディーネの鱗は乾いてひび割れ、痛々しい。
回復呪文を唱えると傷ついた部分を少しずつ治す。
「あぁ。人魚だからな。ここまで乾いていたらしゃべれないのも無理はない。海に戻せば半年ほどで治るはずだ。迎えは…さすがに今夜は間に合わないだろうが…明日の朝には到着させる。お前らも全員逃がす。慣れるまで城にいればいい。その方がカスプも喜ぶし、なにより安全だ。」
 わかったな、というアクアリウスに子供達は頷く。

 ピスケスのおかげで少し良くなったディーネは小さく微笑んだ。
「かわいそうに…。こんなに乾いちゃって…。」
「ここまで乾いているということは…わざと涙を流させるために数年以上続いていたんだろう。オックスはまぁ…山育ちのゴブリンで人魚の知識がなかったと思うからな。」
 水晶を取り出すアクアリウスはピスケスの言葉に肩をすくめて見せ、使おうとしたところでじっと見つめる子供達とピスケス、そしていつの間にか来ているアリエス達に目を止め部屋の隅の方へと行く。
 
『あっ!ぱ』
「ととっととととと」
 突然部屋中に響いた声に、アクアリウスは驚いたように体をびくりと動かし、水晶を取り落としそうになりながらあたふたとする。
 なんとか水晶を握りしめるとこめかみに青筋を浮き上がらせた。
「フェンリ!!!日のあるうちは水晶をそこに置くなと…。あ、いや…カスプに言ったわけじゃ…いや……。ちょっと今…周りが…フェンリ、後で覚えてろよ。」
『いっいえ…えぇっと…その…何のご用でしょうか。』
 怒鳴ったと思ったものの、すぐさま再び慌てるアクアリウスはあの狼男に向かって低い声を出した。
 帰ってきたフェンリの応答はいつもの口調ではなく同じく慌てたように丁寧語になりアクアリウスの言葉に承諾の意を示した。
 
 
 水晶をしまうアクアリウスは深々と溜息を吐くと黒いじめっとしたオーラを放ちながら壁に寄りかかった。
「最悪だ…。城において私だけが出かけているというだけで機嫌損ねているのに…。」
 ぶつぶつと呟くアクアリウスは再び大きく溜息を吐いた。
「すぐに迎えをよこせるそうだ。いつでも出られる準備をしておいてくれ。ただし、この森に入らないようにな。行くときはここにいる奴らか、私と一緒に行くように。」
「ありがとう!!すぐみんなに伝えてくるね!!」
 部屋の中には背を向けたまま、そう伝えるアクアリウスはルーフが走り去っていく音を聞きながらもう一度大きく溜息を吐いた。
「今の声…。」
「なんでもない。」
 今さっき聞こえた女の子と思われる声が誰か…恐らくはたびたび出てくるカスプという名前だろうが、それを確かめようとするアリエスにアクアリウスはきっぱりと言う。
 再び壁に向かって大きく溜息を吐くと、じめっとしたオーラを放ちながら屈みこんだ。
 どうやらそのカスプとやらに向かって怒鳴ったわけではなかったものの、相当機嫌を損 ねてしまったのか、それとも傷つけてしまったのか…。
とにかくこの呪いが一件落着したら、再び死闘を繰り広げるはずの魔王がショックと後悔から立ち直るのにしばらく時間がかかるようだ。